わすれな草



「知ってた?」
海堂は静かに言った。
「・・・なにが?」
海堂の言葉の意味が分からず、躊躇して聞き返した。
「これの、花言葉。」
「・・・わすれな草?」
「うん」
部屋に飾ってある観葉植物の中に、
一つだけ綺麗に赤く色をつけた花が置いてあった。
「わすれな草」
海堂はもう一度、繰り返すように花の名前を言った。
「知らない」
俺の言葉にゆっくりと目線を合わせて、それから小さく笑った。
「教えてあげる。」
最近、海堂が綺麗になった。
なんつーか・・・神秘的?
そんな想いを巡らせてたら海堂が俺の顔を覗き込んできた。
「聞いてるの?」
「お・・・おぅ。聞いてるよ」
「うそ。違うこと考えてたくせに」
そういって、海堂はそっぽを向いてしまった。
「ごめん、悪い。悪かったって。教えて?な?」
俺は慌てて海堂をなだめた。
昔はしょっちゅうケンカばっかしてて、こーゆー状況になると
必ず海堂は『聞いてんのかてめぇ!』ってな感じで掴みかかってくるけど
最近は、それもなくて。
大人びたっていうか。
まぁ、俺たちも大学生になったわけで、もー掴み合いのケンカする年でも
なくなったってのもあるんだけど。
大学に入ってから、俺たちは一緒に暮らし始めた。
世間からは単なる同居だろうけど。
「・・・・。」
海堂は俺の謝罪にちょっとだけ、納得のいかない表情をしてから
もう一度“わすれな草”に目線を落とした。
「・・・海堂?」
その様子に俺はもう一度、海堂の名前を呼んだ。
「わたしを忘れないで・・・・」
突然、つぶやいた海堂に俺はびっくりして反応が遅れた。
「だから。花言葉」
海堂は花から目線を俺に移して言った。
「・・・あ・・・え?」
「わすれな草の花言葉。“わたしを忘れないで”って言うんだ」
海堂は俺を見つめたまま首をかしげた。
「・・・へぇ」
俺は海堂が何を言いたいのか分からずに無難に返事をした。
「・・・はい。誕生日プレゼント」
「・・・・・・・・・・あ。」
いまさら気がついた。
今日って俺の誕生日だ。
「・・・ありがと」
俺は差し出されたその“わすれな草”を受け取ろうと手を出した。
「俺を・・・ずっと忘れないで」
その花を受け取るために花に手を掛けたとき、海堂の手に触れた。
その瞬間、海堂は小さく小さく、瞳を伏せてそういった。
「・・・何言ってんだ」
俺はようやく海堂の言いたいことがわかって、花を受け取るのをやめて
海堂を抱き寄せた。
「も・・・桃・・・?」
ちょっと慌てふためいた海堂を優しく包み込む。
中学生のころと違って、海堂より身長も肩幅もだいぶ成長した俺は
難なく海堂を包み込んだ。
「俺は、お前を忘れたりしない。忘れれるわけないだろ?」
耳元でそっと囁いた俺に海堂は安心したかのように微笑んだ。







「薫!!!!」
俺は真っ白い廊下の奥にある、真っ白い扉を勢いよく開けた。
独特のある匂いが身体を包む。
部屋の奥には一つのベッドがあった。

それは俺の誕生日から2週間が過ぎた頃だった。
いきなりの電話に、俺は頭の中が真っ白になった。
“桃城、早く来い!海堂が事故にあったって・・・”
電話の相手は同じ大学へ通う、菊丸先輩。
事故があった場所の近くを偶然・・・通ったって。
それで、すぐに俺のところへ連絡が来た。


「ご家族の方ですか?」
いきなり病室へ入ってきた俺に、看護士が声を掛けた。
「あ・・・いえ」
俺は乱れた息を整えて、看護士を見た。
「ではお友達ですか?」
「・・・・はい」
もう慣れたとはいえ、やっぱり恋人を「友達」と言わざるを得ないのは
どこか引っかかる。
「あの、海堂は?どうなんですか?」
「・・・命に別状はありません。しかし」
看護士が俺に言っていいのか躊躇したのが分かった。
「彼の、同居人です。」
俺のその言葉に看護士は静かに頷いて言った。
「記憶が・・・なくなっているんです」

うそだろ?

その言葉だけが頭に浮かんだ。
他は何もいえなかった。
むしろ声が出なかった。
「記憶が・・・ない?」
「はい。生活をして行く上での記憶は問題ありませんが、自分が思い出せないようです。
たぶん、ご家族や、友人も思い出せないと思います。」
「・・・・」
まだ、海堂の家族が病院に到着してないらしくて、確認ができないということで
俺が、急遽海堂の検診に付き合うことになった。
「薫くん、この人が分かりますか?」
医師の質問に海堂はゆっくりと指差された俺を見た。
「・・・海堂?」
海堂の瞳が不安そうにしてたから、俺は思わず名前を呼んだ。

「・・・・誰?」


海堂は俺に向かって、そう言った。










「桃城、大丈夫か?」
病院の廊下にあるイスに座ってた俺に、大石先輩が声を掛けてくれた。
どうやら、菊丸先輩から聞いて駆けつけてくれたようだ。
「せんぱ・・・」
俺は大石先輩の顔を見て思わず涙が出た。
「桃城・・・・」
「俺のこと・・・覚えてないんす・・・。俺のこと見て。“誰?”って」
頭を抱えて俯くと、足元に水滴が2、3滴落ちた。
俺、泣いてるのか。
「お前が落ち込んでどうする?落ち込みたくなる気持ちはわかるけど
お前がしっかりしないと、誰が海堂を助けるんだ」
大石先輩はそういって俺の肩をたたいた。
“俺たちも力になるから”とでも言うかのように。

あれからすぐ、海堂は退院した。
怪我が酷かったわけではないから、病院にいる必要もないらしい。
もちろん実家に帰ることを進められたが、それは俺が首を縦に振らなかった。
だって・・・俺の手で思い出させたかった。
家族のこと、友達のこと。
そして、俺のこと。


「ここが、お前が記憶なくす前に住んでた場所だ」
「・・・」
海堂は俺の言葉に躊躇しつつ、部屋へと足を踏み入れた。
部屋の中はあの時のまま、変えてない。
ていうか、ほとんどが海堂の趣味で集められたものだったから
インテリアの中で俺の意見は通らないから変えようもない。
以前、勝手に変えてこっぴどく怒られたことがあったから。
海堂はリビングで足を止めて部屋をぐるりと見渡した。
「どうかした?」
無理に記憶を思い出させようとすると、逆効果も考えられるから
のんびり待つことにした。
けど、記憶ってたしか衝撃を与えると戻るんだっけ??

「いや・・・。」
「ま、てきとーに休んでろよ。夕飯は俺が作るから」
俺はキッチンへ入った。
しかし、海堂は俺の後をついてくる。
「・・・なに?」
「・・・・俺は、本当に桃城く・・・桃城と住んでたのか?」
「お前また今「君」って言おうとしただろー?」
病院で俺の名前を覚えさせたとき「桃城くん」て呼んだから
思わず脱力してしまった。
なんていうか、炭酸飲料で炭酸が抜けるような感じ。
だからなかば強制的に直させた。
さすがに、そこだけは妥協できなかった。
「・・・・」
「そーだよ、一緒に住んでたの。大学一緒だから」
「・・・そっか」
まだ・・・俺とアイツが恋人だってことは言ってない。
なんでかなー。ホントに。

「飯なにが食いたい?」
俺の質問に少し間をあけて言った。
「・・・・オムライス。」
「らじゃー」
オムライスだって。
こーゆーことは変わらないのか。
事故にあう前にも食ってたっけ。




とりあえず、何のこともなく一日が過ぎる。
大学は少しの間、休ませることにした。
ついでに俺も休んで、海堂のそばにいることを選んだ。
どっちにしろ、俺は出席日数も単位も十分に余裕がある。
海堂も当然そうだろうけど、“記憶喪失”ということで
特別に休みがもらえた。
どっちにしろ、今日は日曜日だけど。
いつも掃除するのは海堂だった。
まかせっきりだったけど、今回はそうも言ってられないから
なれない掃除機を持ち出してきて、掛けてみた。
海堂は、そんな俺をリビングのソファからじっと見つめてるだけ。
「どうした?腹へった?」
俺が不意に声を掛けると、目線は動かさず小さく首を振った。
「俺、いつから桃城と・・・トモダチだったんだ?」

“トモダチ”

海堂の言葉が胸に刺さった。
海堂はなんにも覚えてない。
自分自身のことも。
そして俺がどんなに愛していたかも・・・。
「・・・・・中学ん時からだよ」
「中学?俺、テニス部だったのか?」
部屋の中に置いてあったテニスラケットとボール。
「今も、テニス部だよ」
大学には“テニス部”なんてない。
正確にはサークル。
「そうか。」
それきり、海堂は言葉を閉ざした。
ソファの上から、バルコニーの外を眺めるだけ。
それの繰り返し。
記憶を無くす前の海堂よりも、さらに口数は減った。
何かを考えているようにも見えるし
ただ外を見つめているだけにも見える。
海堂が今、何を考え、何を思っているのかさえ、俺にはわからない。
それが何より、苦しかった。







「今日は風が強いな」
窓から入ってくる風に、白いカーテンが大きく靡く。
「閉めるか?」
そう聞くと海堂は小さく首を横に振った。
「そっか。コーヒー入れてくる。」
そう海堂に継げて、キッチンへ入っていった。
・・・もう、限界だ。
海堂なんだけど・・・海堂じゃない。
シンクにもたれて、項垂れてる自分が情けない。
海堂の方が辛いに決まってる。
でも、俺だってそんなに強くない。
知らずに涙が頬を伝った。

「薫・・・・」


そう呟いた時、リビングから大きな物音が響き渡った。

ガシャンッ・・・・・・


「っう・・・・」
そのすぐ後、海堂の呻き声が聞こえた気がした。
「海堂っ!!!」
リビングへ戻った俺の目に映ったのは、先ほどと変わらないリビングの風景。

「海堂?」 でも、居たはずの海堂の姿が見えない。
「海堂!?」
そうもう一度呼んだ時、テーブルの奥で、何かが動いた。
「・・・・か・・・海堂・・・?大丈夫か?」
テーブルの後ろへ回ると海堂が蹲っている。
「何してんだ?」
助け起こそうとして、俺は目を丸くした。
海堂の腕の中に、海堂に守られるようにそこに存在したのは
ピンクに花弁を染めた“わすれな草”。

「・・・・」
海堂は俺に支えられて体制を整えた。
「何やってんの」
俺の言葉に海堂はゆっくりと俺を見上げて目線を絡ました。
「これ・・・落ちそうになったから・・・」
海堂はそういって、その花を見た。
どうやら、風が強くその勢いで花が出窓から落ちたようだった。
「でも、お前が怪我したら、意味ないだろ?」

「・・・でも、大切な花だから・・・」

・・・・え?
「海堂?」
俺は一瞬耳を疑った。
“大切な花”って言ったその言葉に意味はあるのだろうか?
「・・・・わすれな草・・・でしょ?」
海堂はその花をそっと触れる。



「知ってた?」

聞き覚えのあるフレーズ。

「え?」

「これの、花言葉。」

俺は海堂の顔を見ることしか出来なかった。

「わすれ・・・な草?」

「わすれな草」

俺の問いに海堂はあの時のまま、答える。

「海・・・堂・・・?」


「桃、忘れちゃったの?ちゃんと教えてあげたでしょ?」

海堂の微笑みを久しぶりに見た気がした。



「“わたしを忘れないで”」


「覚えてるじゃん」

嬉しそうに笑う海堂を見て
俺はそれ以上何も言えなかった。









「ごめんね。俺が、桃のこと、忘れちゃってたみたい」



海堂はそういって、花を床にそっと置くと、俺へ抱きついてきた。

「海堂・・・・」


「薫って・・・・呼んでよ」


海堂はいつもみたいに俺を見上げて微笑んだ。


「薫・・・・」

「俺が、あの花を守ったのは、桃の誕生日にあげた花だったからだよ」

「いつから・・・・」

海堂の言葉が記憶を無くす前の・・・あいつの本当の言葉になってる。

「・・・あの花が落ちるって思った瞬間・・・桃の顔だけが浮かんだんだ」

そういって床の花を机に戻した。

「桃の顔思い出した瞬間、身体が勝手に動いてた」


“もしかしたら、花が桃と被ったのかもね”

そういって再び俺にもたれ掛ってくる海堂。
「薫・・・・」
いつもの海堂が、そこにいた。

それが嬉しくて、つい、涙が目から零れてしまった。
けど、それを拭うことなんか忘れ、その場を動けずにいた。
海堂を抱きしめ返す余裕すら、今の俺には持ち合わせていなかったから。


「ごめんね、桃」
海堂は俺を見上げて、細い指で俺の涙を拭った。

「薫・・・」



“わすれな草”



「もう・・・忘れないで」







end

「わすれな草」
いかがでしたでしょーか。
最近よく「記憶喪失」になったらって思うことが多いんですよ。
自分を忘れちゃったら、周りの人なんて誰一人思い出せないんじゃないかとか
自分がどんな人間で、なにが好きだったのかとか
自分が愛した人のことや大好きな音楽のことも全部忘れちゃったら
悲しいんだけど、それすら覚えてない自分っていうのがとっても怖いとか。
自分がなくなるって怖いなって最近考える海でした。
そんなこんなで「わすれな草」でした。
ホントはもっとテンポよく最後まで行きたかったんですけど
俺の能力はコレが限界でした(笑)

2004.7.30

月ノ瀬海